マズイ!手荒れの季節よ!

 ある年から寒い時期には必ず手が荒れてしまうようになってしまったのである。

 

大概、手が荒れてからケアを始めるため、文字通り手遅れになるわけだ。

 ということで今年は今の時期からケアするようしますぞー。

 

はい、これがいわゆる備忘録。

終わり。

嘘っぱちの風景

 僕が見えているものを疑う時が二つある。

一つは嫌なことがあった時。一つは遠くを見る時。

 

 前者は単なる逃げの一手であり、自衛本能に満ちた現実に対する拒否反応。言うことはなぁんにもない。

 後者は、もう少し言葉を付け足そう。遠くを見た時、突然視界が開けたように入ってくる情報量が増えることがある。その時に奇妙な現実感の喪失があるから、それは本当に見えているものなのか不安になるのだ。

 空が、地球丸ごと包むドームの天部に空を投射された嘘っぱちの作り物であったとしても、僕個人には証明が出来ない。遠くに見える風景はそんな無力感を強めるのかもしれない。

 

 無力感は現実への抵抗力を奪う。

 なるほど、前者後者共に根底は同じなのか。

といった自己解決、ありがとうございまーす😊

右クリック→ゴミ箱を空にする

 Windowsを使った事のある方なら、一度くらいはこのシークエンスを辿ったことがあるだろう。とは言え、パソコンに触ったことが無い人もいるだろうから、簡単に説明をすると部屋に纏めたゴミを外に捨てに行くような作業が表題となる。

 

 しかし捨てたゴミデータ。大抵の場合、完全には捨てきれていない。何かしらの手段を用いると、また戻すこともできる。

 まぁ何かと言うと、今の私がその状態であるってことだ。この思考と記憶のゴミ箱と化したブログは今、確かに役目を失いつつある。捨て去りたいことも書きたいことも、大体書き終えた。

 ならこのゴミ箱はもういらないか?いや、そんなことは無い。何かを書きたいという気持ちは、確かに存在する。

 右クリックして、頭のゴミを外に放り出した筈でも、何かが未だに蠢いている。

 

 てゆーか、もっと色んな所に目線を向けて書きたいし、色んな文体試してみたい!

 今のポジティブわたくしである間だけのやる気かもしれないけれど、内省的な内容ばっかりじゃなくて、もっと開けた内容を書けるよう意識を拡げていくぜぃ。

 

 終わり。

応募用の小説かき揚げ~

 あえての誤字そのままにしてみた。美味しそう。

 

 短編で、なおかつ難しい内容じゃない限りは、結構早く書けるものだねぇ。

プロット作りに約二時間。本編書くのに約五時間。文字数にして5000文字の原稿用紙にして、6枚。私としては上出来かな。

 

 いーっつもいっつもいっつも、自分で理解できないし、入り組んだ内容のものばっかり書くから、終わりまでなかなか書けないんですよね。

 

 まぁ簡単な内容とは言え、しっかりと考えたことは考えたし、まずは彼女に読んでもらって感想を聞きましょうか。

 

 ていうか最近の現代劇に猫を登場させすぎな件について。はぁ、うちの子可愛い。たまらない。いつか別でひたすら愛でるだけのブログ立ち上げるか。

 

 今回の記事の内容薄すぎて笑える、眠たい。

 

 お疲れ様ーでしたー。今からちょっとゲームして寝よ。

過去から届いた呪い

 まぁ大分長い間を経て顕在化した呪いというのが、キャラクター性の否定というものだ。

 

 私は昔、物語において必要なのは物語の構図、物語のギミック、表現力であるとやけに偏重していた。特に否定していたのはキャラクター性。

 そんなものは物語において重要ではないなんて嘯いていた自分を殺した作品は何だったろうか?

 これといった特定の作品だけに影響されたわけではない気がする。まぁ、清廉な祈りに浄化される悪魔のように、バカな自分は消えていた。

 

 しかしキャラクター性を否定する自分は完全に死んだわけじゃなかったらしい。深層に呪いを残していた。

 それが萌芽したのは最近で、私は自分の書く物語の登場人物に名前を付けてあげられなくなった。

 

 幸となるか不幸となるか、それはまだ誰にもわからない。

 

 更新が途絶えていたので、とりあえず下書きという文章の墓場から一つ蘇らせてみた。

瞑想中

 比喩表現としての瞑想などではなく、本物の瞑想に挑戦しております。

 何故かというと、独り言が目に余る程になっているからですね。表に出る独り言ではなく、脳内でひたすら流れる思考のことです。

 

 もう少し静かにしてくれないと、何というか脳が疲れそうな気がしているので瞑想にチャレンジ。今は二日目。果たして効果は望めるでしょうか?

 

表題の瞑想中はダブルミーニングで、私が迷走中ってことでもあります。

自分のネタを解説してはいけないと心の中の大阪人が言ってますが、気にせずここで終わりにしましょう。

 

いつの日か自分を写した向日葵の死

いつまでも太陽を見ることは無かった向日葵は、ついにそのまま枯れてしまった。

 明るすぎる太陽は暗い自分には見る資格が無いと思っていたのか。はたまた頭でっかちな彼はその重みについに勝てなかったのか。

 

 でも、彼の死は種という生を同時に意味していた。

 

 そのことに気づいた時、少しまた元気を貰った。

 ごめんね、勝手に親近感持っちゃって。

 君の知らないところで勝手に頑張るよ。遺伝子を遺す君と、意伝子を残す私の対比に出来ればいいね。