夏季が歓喜であると、そう感じた。

子供の頃、この梅雨がいつまでも続くように感じていた。大人になってからの感覚に、そのころ感じていた梅雨の長さを照らし合わせると半年くらいに感じていたように思う。

 

じっとりとした雨が、まとわりつく湿気が肺から脳まで満たしていく。そもそも人間だって体の大部分が水分で出来ているのだから、むしろ湿気を気持ちよく感じて然るべきだ。しかし、実際には即さないことに苛立ちを覚える。この苛立ちのタチの悪いところとして、梅雨を抜けたとしても、結局暑さからは抜け出せないと言う点である。

蒸し暑さから、純粋な暑さに変わったとして、苦しさのベクトルが変わっただけじゃあないか。

 

こんなスイッチを用意してみよう。このスイッチを押したら、翌日には秋になる。

私は。あるいはこれを読んだ誰かは。押すのだろうか。

私がここまで暑さ、あるいは夏をあげつらえる言い方をしたのだから、当然押すと断言したいところだが。案外押す気はしないのである。なんだかんだ言いながら、暑さに苦しむことも楽しさの一つとどこかで思っているのかもしれない。

 

そして、暑さを非難することも楽しさの一つでもあるので、今後も懲りずに続けていこうと考えている自分は天邪鬼といったところか。