自分は他人である。

 当時は小学生の低学年か、あるいは保育園か。まぁ、それくらいの時期のことだ。

 私は、私というものが無くて、他人をミルフィーユのように重ねただけのものであることに気付いてしまった。

 

 切っ掛けは、しかし無邪気であった。当時仲が良く、尚且つカッコいいなと憧れていた同級生がいた。仲が良かったり憧れたりすると往々にして起こるのが、同一化である。

 私も例に漏れず、その同級生の口癖を無意識下で真似していたのだが、そのことに気付いた時に私は何となく嬉しかった。仲の良い人と同じ事をするというのは、無条件に嬉しいものだろう。

 そこで終われば良かったのに、どうしてか私は気付いてしまったのである。自分が誰かの真似事を重ねただけの存在である事を。

 

 口癖もそう。同級生の真似だ。

 考え方もそう、同級生や親の真似で。

 突き詰めれば言葉だって同じだ。親の使う言葉を私も使っているだけで。

 

私を私たらしめるものが、私の中に無いんだ。  

 

今でこそそんなことどうでもいいと切り捨てられているが、とにかく当時は衝撃的で何より悲しかった。私の自己憐憫の強さや、自信のなさはこの出来事に根幹を置いていると、この記事を書いてようやく気付くことができた。

 

 

ブログを書き、自分を見つめていくたびに、精神の安定を欠いていっているようにも思うが、書くことが無くなるまでは辞められんな。

 不安定で死にたくなる時だけ自分を感じられるんだ。

 

大丈夫だろう。全然ファッションキチガイの範疇に収まってるはず。